オンライン スペイン語3 足跡
人生は
  • 傷跡でなく足跡を残して進んで行くのだ。

    知り合いのパラグアイ人が言ってました。スペイン語は哲学的な言葉だと。

    スペイン語話せると色々と人生変わるでしょう。中南米には今でも夢があります。

    世界に出ましょう。日本に居て終わってしまうのは宝の持ち腐れ。

    若いなら南米大陸がお勧め。国も沢山あるし、ほとんどの国はスペイン語。

    国も沢山あるから、一つの国で駄目なら又隣の国へ。そこで駄目でも再び何処かへ。

    スペイン語も一回覚えたらずっと使える。通じる。便利です。

    そう、上の写真の様に足跡を残す。偉大な足跡でなくても良い。

    自分の海外放浪時代の事を思い返すと心臓が止まりそうな時がある。

    何故なら今考えると当時は、見っとも無い事、恥ずかしい事、ダサい事ばかり。

    常にそれらの事の繰り返し。非常に恥ずかしい。

    もう過ぎてしまった事。今更どうにもならない。しょうがない。

    それがあるから今は本当にダサい事は何なのか分かる。

    いつからかあまりダサい事はしなくなってきたと思っていたが今も同じ。

    実は大して変わっていない。今もやはり見っとも無い事の繰り返し。

    本質は変わらない。

    それで良いでしょう。何もしないのが一番いけない、生きる資格さえ無い。


    "En la vida hay algo peor que el fracaso: el no haber intentado nada"

                          — Franklin D. Roosevelt

    上のスペイン語は「失敗よりも駄目な事は何もしない事だ。」と言ってます。

    この文を見ると失敗続きの自分は救われた気持ちにいつもなる。

    何もしなけりゃ何も始まらない。

    アホなことしてもそれが次の教訓になる。

    俺も偉そうな事言ってるが、あまり教訓にならずいつも又同じ失敗。

    だけどまだ死なないし何かやらないといけない。生きていかなければならない。

    自分の経営してる会社はウダツが上がらない。なら他所に勤めに出る。

    それは絶対に無理。面接がある。

    100%受からない。それは自分が年取ってて偉そうなのと面接する奴が無能。

    其奴等は自分でコントロール出来そうな奴しか取らないから。


    1984年新年1月1日ソビエト上空。

    1983年の12月31日大晦日にParis離れて1月1日をソビエト連邦空の上で迎えた。

    ロシアのAeroflotでParisから東京に向かっていた。

    初めての帰国。日本離れて2年と少し。

    あの時の事は今でもハッキリ覚えている。

    カウントダウンの時、当時のソビエト連邦の飛行機にしては珍しくcaviarとシャンパンが出た。

    前の席にはフランス人と日本人の夫婦。旦那がフランス人でその旦那のお母さんも居た。

    そして娘か息子も居たような覚えがある。

    何故そんな事を覚えているかと言うとお母さんが居たから。孫も居たからお婆さんである。

    そのお婆さんもAeroflotに乗って東京に向かってた。素晴らしい、立派だなと思った。

    当時は直行便は無い。時間もかかるし航空券は高価だった。

    日本も普通のヨーロッパの人達には中国の一部位の印象しか無かった。有名な国ではなかった。

    そんな中その女性は息子の嫁の国を訪れる。年齢的にもキツい。狭い長い飛行機の旅。

    旦那は日本についての知識は有っただろう。

    お婆さんにしてみりゃフランスが昔統治したアジアの何処かに向かってる。

    それくらいの感覚だったはず。情報も入って来ない時代だ。婆さんには勇気が必要だったはず。

    現在の様に禁煙ではなかった。飛行機に乗れば全身臭くなた。

    1980年代前半の日本の婆さんでは無理だろう。

    内容は何も覚えてないがその時フランス人男性と自分は会話した。

    自分もParisに2年以上居てフランス語もどうにかなってきた頃。

    「一回東京に戻って、又出直しだ。」と燃えていた。直ぐParisに戻るつもりだった。

    そんな時、飛行機が成田に近づき列島の形がハッキリと見えてきた。

    懐かしいような嬉しいようなとても表現出来無い感覚。取り敢えず嬉しかった。

    それまでに経験した事のない感覚。そんな事で心が動いたのは初めて。いや最初で最後。

    その5年後、1998年12月に5年ぶりに帰国した時は何にも感激無し。何も感じなかった。

    1回目の感覚を覚えていたので今度はどうか楽しみにしてたが呆気なかった。

    長くヨーロッパに居すぎて向こうの感覚で日本はどうでも良かったのだろう。

    2ヶ月と少し東京に滞在してParisに戻った。

    それから本当の意味での海外デタラメ放浪生活が始まったのだ。

    それまではPrólogo。其処からの5年間がメイン。1990年から91年がepilogo。 


    オンライン学校とスペイン語の教材と電子辞書を紹介させていただきます。

    新しく覚えた単語や文章は直ぐ使い自分の物にしましょう。

    学んだら直ぐ使う、忘れないコツです。



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