蕎麦料理を落ち着いた雰囲気で
大通り裏に潜む是非外国人に紹介したい蕎麦レストラン
見慣れた景色。
非常につまらない。
よく見ればわかる。
本当はボロい。
質の悪いビル。
朝も夜も窓から見える。
嫌な感じ。
俺はこんなの見るためにココに来たのではない。
ココに居るのではない。
1987年 キブツ 初夏
本当はそんな物はない。
春や初夏など無い。
存在しない。
スグに暑くなる。
当時軽く35度。
今はそんなの東京でもなる。
当時の俺は初めての体験。
今はパリでも40度。
異常。
毎日確実にキブツの生活に適合してきてる。
思ってたのより楽しい。
仲間が沢山出来た。
女は相変わらず出来ない。
パリでは少しは居た。
ダブリンでも結構モテた。
volunteerの仲間にブラジル人やアルゼンチンのユダヤの息子達。
キブツのメンバーや色々な生活を抱えたイスラエル人の若者達。
自分は有名だった。
日本人等居ない。
他の東洋人も居ない。
だから目立つ。
スグに知れ渡る。
もうすぐ出発。
シナイ半島に向かう。
チャリの旅。
この旅の途中でヤンとお別れ。
奴は一人でカイロに向かう。
心は強い男だ。
それが後から悲劇に。
その時は誰にも判らない。
奴は俺等と別れた後、やはり何処かで膝痛めたらしい。
そして病院へ。
多分カイロの病院。
その後イスラエルに戻ったらしい。
もちろんチャリではなく、何かの交通機関を使って。
Rowenだったか?誰かから伝わって来た情報。
誰かが出くわした。
テルアビブで。
奴は怪我した足を引きずりベンチに腰掛けていた。
ベンチに座って海を眺めていた。
髪の毛は真っ白だったらしい。
今思うと奴は素晴らしい男だった。
少し真面目すぎるが。
1989年の日本に居る時期、彼から絵葉書が来たのも良く覚えている。
もうすべてが大昔の話。
今はパナマ。
今どうしてるのか?
もうジジイだな。
会ってみたい。
不可能ではない。
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