Lisoa リスボン
長い付き合いの国
  • なんとなく懐かしく魅力ある街リスボン

    右が私 22歳

    なんとなく懐かしく魅力ある街リスボン

    ずっと行きたかった。子供の頃からポルトガルとかリスボンと聞くと軽い興奮を覚えた。ユーラシアの一番東から最西端への憧れなのか?又はその当時はまだ見てなかった、アランドロンの映画リスボン特急なのか?


    思いを実行に移したのは1984年9月頃、当時22歳。その前にもスペインは数回行ってるが最後の国境は越えなかった。


    84年当時パリのフランス語学校に通っていて同じクラスにリスボン出身の女性が居た。歳は私と同じ位だったと思う、Maria。


    「リスボン行く。」とその彼女に告げたら「私の実家に泊まれ。」と全て手配してくれた。


    行ってみると兄弟が多くみんな事業をしていて金持ち。リスボンの高級住宅街に住んでいた。写真の真ん中に写ってるのがMariaの弟。左は彼の友達でリスボンで中華レストラン経営している家の息子。2人共私より若かった。


    Mariaと歳の近い姉2人は、私がポルトガル行く前にパリで紹介されていた。その2人がリスボンでは忙しい中毎日私に付き合って遊んでくれて、今思い出しても感謝。ポルトガルの人は素晴らしく優しい。


    その他にも兄弟は沢山。家は長女が仕切っていて肝っ玉母さん風。毎日私の面倒を見てくれて、美味しい食事を毎日作ってもくれた。


    実はリスボンに着いて真っ先にMariaの実家に行かなかった。列車の中で一緒になったドイツ人女性と数日行動を共にしていたから。列車に一人で居る女性を退屈させるのは最悪の失礼。話しかけ、面白い事言って退屈させてはならない。もし彼女が1人が良いなら直ぐ去る。何もしないのは常識外れで卑怯。



    リスボン発つ前の夜写真に居る弟と姉2人ZinhaとEdithに友達数人とファドを聞くバーへ行き、その後シャラトン・リスボンの最上階のバー。ビール1杯400円位の記憶、安かった。(リスボンで私は身銭きった記憶はないが)。


    その頃私の気持ちはZinhaに、彼女も周りのみんなにも鮮明。ZinhaとEdithは私がスペインに向かう列車が出発するギリギリ間に合って、列車の窓から別れを。別れの挨拶のキスは無し。(このキスも場所によって回数が違うし、全員としなければならない。)


    後にパリに戻りMariaにもZinhaへの思いは告げたし、その3年後イスラエルのキブツ生活の直ぐ後Zinhaに会いにリスボンへ行き、繁華街のRossio広場で再会した。


    2度目は真冬。リスボンには歴史建造物が今でも立ち並ぶアルファマ地区がある。そこの地区のカフェバーでワインでも飲めばかつてのリスボンの生活が想像できるかも!ジェロニモスの教会みたいなのも立派だが、私は教会より人々の日常が好み。


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