back to the kibbutz キブツに戻って
シナイ半島から
  • 帰り道に

    日射病

    シナイ山から降りて来て、下に公園の様な所が有ります。そこでバンダナ巻かずにフラフラしてた私は急に寒気に襲われました。寒いので尚更日向へ、それが不幸の始まり完全に日射病です。(当時は日射病と言ってたし、英語sunstroke  スペイン語insolación  フランス語insolationとずっと日射病の意味のまま、変わってない。中国語は中暑と熱中症みたいな単語は有るが。)

    もう身体は言う事聞かず、だるくて寒く動けません。自転車など当然漕げませし砂漠の陽の当たらない場所で寝袋に包まって眠り続けるしかありませんでした。


    しょうがなくみんなもその日は私を砂漠に残してチャリに跨り食料調達へ行ったり、その辺を散歩したり。どんなに気合入れても身体動かないなんて始めてです。 

     

    昼過ぎから翌朝迄寝て回復しました。後は遅れを取り戻す為走り出します。ヤンとの別れの地点のシナイ半島の南端。握手したり抱き合ったりして彼と別れて私達3人は来た道を引き返したのでした。

     

     シナイ半島に入ってからは淡水で身体を洗ってません。海岸があれば4人とも全裸になり海に浸かり身体を冷やし洗いました。そしてそのまま砂浜で休憩です。


    ラファイエルとヤンはキブツの時から男同士何回もおチンチンとか見てますが、女性のマリーも気兼ね無く全裸で我々と海辺で我々と。若いし、何ヶ月かセックスはしてませんでしたがマリーとは極限迄体力使う旅の仲間、大自然の中いやらしい気持ちは沸いて来ません。(もちろんキブツに戻って普段の生活始まればそういう気持ちしか起きない。)

     

    時折べドウイン達と遭遇して、我々が持って来たアルコールと彼らの持っているハッシやピタ、ナツメヤシ等と交換しました。他に誰も居ない砂漠や海で吸うハッシは天国そのものです。(死んでなく天国は知らないが。)

     ヤンはやらなかったと思います。そしてべドウイン達の砂漠で作るコーヒーは世界一美味しいコーヒーです。砂漠に落ちてる乾いた草や枝で直径15センチ位の小さな火を熾し、周りは石で囲み上にやはり小さな鍋をのせます。湯が沸いたら火から外し、コーヒーの粉と砂糖を入れたら出来上がり。勿論フィルターなどでこしません。新鮮で濃厚なコーヒーに調味料の生姜や砂漠に有る小さな実などが混ぜます。そしてそのコーヒーを飲んでいる私等、砂漠の真ん中で べドウイン達と一緒に、思い出しても夢の世界です。 

     
     ヤンが居なくなってから今迄英語だった共通語がフランス語に変わります。キブツに残ってるローウエンもそうですがヤンは誰にでも親切で真面目な紳士、大酒飲んで酔っ払ってる姿も見た事在りません。


    彼が居る時は抑えてた私の我がままも、どちらかと言えば付き合いなれてるフランス語圏の人間だけとなったので大爆発。些細な事でラファイエルやマリと言い争いになりました。毎日砂漠ばかりのチャリの旅にも飽き飽きしてきて早く文明に戻りたいと。

     

    シナイ半島に向かってヤンと走ってた記憶は鮮明ですが、不思議と帰り道の印象は有りません。


    エジプトからエラットに戻って浜辺の淡水のシャワーで身体洗い、クスクスのレストランを見つけたのでそこで食事。そしておそらく来た時と同じ様に砂漠で寝てバナナ、アボカド、ナツメヤシ、チーズ、ゆで卵、ピタを毎日食べ、やはり死海に浸かり、最後のダッシュでキブツに戻ったのでしょう。最後の日に3人で久振りにアイスクリームも食べました。そして予定通り15日の旅でキブツに到着。丁度夕食時でした。

     


     そういえば2週間鏡も見てなかったので鏡にうつる自分の顔を見てビックリ、顔中でたらめに髭や産毛が、顔も身体も真っ黒。


    キブツにはノルウエー人の新しいボランティアの仲間が居ました。姉妹で妹はとてもセクシーでしたので早速挨拶。

     

    ローウエンは私の居なかった2週間はとても退屈だったと。少し気難しいレスリーもブラジル人達とは話す様になっていました。フォークランド戦争の為嫌っていたアルゼンチン人達とも、多少不良ぽい連中とは話たりするみたいです。

    ただブラジルのグループとアルゼンチンのは最悪な関係、殴り合いも茶飯事。

     次の日から仕事開始。ヤンが居なくなったのでローウエンが私とラファイエルの部屋に越して来て、我々の旅の途中に南アフリカのロネルとカースティはキブツを去ってました。(彼女等はその後舞い戻っては着ますが。)

     

    ローウエンがロンドンに帰る前にエラットに旅しました。先に私とロネルが、その日の夜中に奴ローウエンは到着。街を歩いてる時にオヤジに声掛けられ、ホテルでなくそのオヤジの持っているアパートを安く借りて泊まり、帰りにはテルアビブに寄りました。


    キブツに戻ってローウェンとお別れ、彼はロンドンに帰って行きました。暑い中私はバ ス停まで送ったのを憶えています。

     

    6月の半ば位になるとヨーロッパから夏休みの学生も沢山訪れて来ました。みんな大して長く滞在しないのでもう誰が誰なのか良くわかりません。


    一緒に庭仕事したオランダ人の大柄な姉妹やイギリス人の学生とかは印象に有ります。イギリスの学生達を連れてティベリヤのBig Benにビール飲み行き、最終バスに乗れずヒッチで途中で他人の湖畔パーティーに乱入してファラフェルを盗み食いしました。(その話は前に触れました。)

     

    その後キブツ最大のイベントはプールサイドでの私の誕生日パーティー。


    毎日同じ様な生活で刺激が無い中、若いキブツのメンバーやボランティアのボス、レスリーが中心になって金曜の夜にアルコールと音楽とを持ってプールに。


    私は手と足を掴まれてプールに投げ入れられました。素晴らしい思い出です。

    その日はブラジル軍団のボス的な存在の女性ベチーナとずっ と一緒に居た記憶があります。

    その後違うキブツに一緒に移った仲間のポールも、もうキブツに来ていた筈ですし、ローウエンも去る間際です。ローウエンはイスラエル人の若い女性に惚れていましたが、その女性はルークと言う後から来たやはりロンドン出身の男と結婚するのですが、やはりその後離婚しました。キブツの6年後ルークから国際電話が有り話してくれました。 
     


    学生達が帰っていくのと同時に私のキブツのボランティアを取るのを止めました。


    ブラジルのグループもそのキブツに嫌気が差し1人残してみんな他のキブツへ移って行きました。キブツも静かになり前にもまして白けて面最低。


    私はルークと隣の2000人規模のでかいキブツを見に行きそこに移る決心をしました。私とルーク、 アイルランドのポール、ロンドンから来ていた白人と黒人の混血のスティーブそして彼の恋人デボラ、彼女もロンドンの白人黒人混血の美人。少し後からルークの友達のロブ移って来て新しい仲間で集合。


    新しいキブツはでかいし、女性のボランティも沢山、即大好きに。前のキブツに残ったラファイエルも遊びに来ましたが、前のキブツとは違 い訪問に関して規則は厳しい。

     

    この新しいキブツの魅力はバナナ園の仕事、朝4時半におきて1日中重いバナナ担いでトラクターまで、かなりの重労働ですから昼からは本格的に昼寝。

     

    敷地内にはきれいなプールも有り、ジムもテニスコートも有ります。野外の映画上映場もあり若いメンバーも沢山、勿論女性も、最高の環境です。


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