仲間達 Club Med
'89年 タイ プーケット カタビーチ
  • G.O.

    Club Med プーケットのバーのコースター

    1988年12月半ば5年ぶりに日本に帰国。 その当時はEメール無かったし電電公社の国際電話料金、激高だったから親や友達への連絡ほとんど無し。それが当たり前。



     突然のビックリ帰国。 20代の頃の5年は今の5年と大違い、21歳が26歳に変わったでけでも相当違うが、東京はバブルやら地上げで街の雰囲気もある意味異常でした。



     東京の友達と久しぶりに遊んだり、頑張ったが1ヵ月が限界。 そんな時お茶の水のアテネフランセに立寄り、掲示板で見つけたのがClub MedでのG.O.の仕事。 G.O.とはフランス語でgentil organisateurの略。 簡単に言えbば、海外のリゾート村に長く滞在してお客さん達と遊ぶ仕事。 休みは無しで飛行機の切符と多少の小遣いは支給。 リゾートのホテルに住み食事もそこで客と共にする。



     他にやる事もこれと言って無いし、唯々日本に居たくない自分はそれだけで面接に行きました。 自分は当時、英語もフランス語も既に普通に話せたので直ちにマレーシアのチャラティンビーチで1週間研修でその後タイのプーケット。そこから4~5ヵ月のG.O.生活。 



    ある程度、綺麗にキラキラ輝く青い海と青く美しく熱いプーケットの空(何故ある程度かと言うと、それ以前にもっと美しい光景を体験している。)。 世界中からやって来た、特にフランスやオーストラリア等から来てるビキニの美女達(これもやはりそんなに大した事無い。なぜならそれ以前、もっと良い女達と出会っていたし色々あった。)ばかりで初めは最高(ある程度)な気分でした。 



    しかしずっとヨーロッパの主な都市の底辺で、はみ出しながらも自由自適な生活を送ってきた自分には、リゾート地が留置所に変わるには大して時間は掛りませんでした。 リゾートは遊ぶにしても又はそこで働くにしても3日が限界。 限られた同じ空間で過ごし、毎日四六時中同じ顔を眺めてなければならなく、青く美しい海はすぐに飽きて灰色の空と薄汚れた街の匂いが恋しくなるからです。 



    夏は凄く暑く冬はとても寒い、住んでる人間も変な人や何だか良くわからない人、そしてある程度マトモな人など様々な人間が居て、色々な人種が一緒に暮らす場所こそタフで素晴らしい文化が有るのです。



     写真のコースターはClub Medプーケットのバーのカウンターで飲みながらそこで知り合った友達に裏面に住所を書いてもらった物です。

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