オンライン 仏語46 放浪生活12 夏の終わり
エスキモー

  • 6月に誰かが俺に暑いとか言うならケツにエスキモーをねじ込むぞ!

    実際エスキモーをケツにはねじ込めない。

    ココで言うエスキモーはフランスのアイスクリーム。

    Parisで良く売られてたの憶えてる。

    良くわからないが今も有るだろう。

    自分も食べた。


    1982年9月、

    色々有ったが無事に日本料理店を辞められた。

    感謝の気持ちと、これで清々したの言う感覚も。

    覚えてるのはマドレーヌからマジックバスでAmsterdamに向かった事。

    バスで一緒だったフランス人のあまり綺麗ではない女性と半日行動を共にした事。

    自分のフランス語がダサく、全く通じず恥ずかしく悔しい思いした事。


    店辞めた頃、何故かレストランも数日休業。

    確かその休みの日々が終わってから寮も出た。

    その休みは毎日一人でParis歩いた。

    今迄行ったこと無かった場所を歩いた。

    13区辺りに20区。

    今では両方共Parisを代表する中華街。


    20区のBellevilleは当時は中国人よりもアラブ人の街。

    危ないとか大麻やコカイン道で売ってるとか噂を聞いていた。

    そういう話し聞くとウズウズ。

    毎日Paris1区のパレ・ロワイヤル界隈、ダサい日本人ばかり。

    其処から離れて自由に、なんちゃって冒険。

    日本人街はParisで一番ダサかった。否、今でもダサい。ダサすぎる。


    当時から黒人の女性は美しい、世界で一番美しいと感じってた。

    歩き回った事無い、少し危ない地区には必ず良い女が居るはずだ。

    そう思って別に目的も無く歩いた。


    9月のParisは暑くはない。

    夏の終わりだが、まだヨーロッパは夏時間の頃。

    日は長い。

    夜は10時位迄明るい。

    最高に気持ちが良い。

    そんなんで少しのスリルと黒人の綺麗な女求めて歩いた。

    何故か今でも憶えているこの散歩。


    これから旅に出て、再びParisに戻ったらこの辺りに住もう。

    日本料理で半日バイトして、切り詰めて生活してアリアンス・フランセーズにも行こう。

    そんな計画が俺には軽く有った。


    20区の散歩はそれなりに楽しかった。

    当然その後も何回も行く事になる。

    クスクス食べたり中華食べたり。

    今でも好きな街だ。


    Parisは狭い。

    その日はそれでは物足りず、13区にも行ったと思う。

    ボックスフランセーズと言う仏式キックボクシングに興味を持っていたから。

    だからジムを探しに行った。


    Parisに1981年10月に到着して1週間もしない内にレストランで労働開始。

    Parisを何も見てない。何も知らない。

    レストランを辞めて本当の自由を感じた。

    Parisの生活もフランス語もこれからだ。そう感じた。

    Parisで到着以降10ヶ月以上してから得た自由。

    自由とは自分との戦いである。


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    ダサいかもしれないけど見てやって下さい。


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